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日記

宝くじのCMを見てとても嫌な気持ちになった

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無料なものには無料の理由があります。

その最たる例が、テレビでしょう。

テレビはかなりお金の掛かったメディアですが、我々は無料でそれを見ることができます。

テレビとCMは切っても切り離せない関係であり、テレビの歴史は広告の歴史でもあります。

今回はそんなCMのお話です。

目次

過去最高に不快な気分になった

不快な理由①敗者に寛容じゃない

不快な理由②嘲りの文化

彼女はなぜ魔女になったのか

失敗を嗤う国で

過去最高に不快な気分になった

僕の家では、映画を見るときにPS4のUーNEXTで見ます。

映画を見終わってPS4の電源を切り、地上波に戻してからテレビの電源を切ろうとしました。

その時に、こんなCMを目にしたのです。

※胸くそ悪いCMなので、見てない方は見なくて結構です。

このCMの内容を簡単に説明すると以下の通りです。

弟「俺すごいこと思いついたよ! 宝くじにもポイントをつけるんだ!」

家族一同「すごいじゃないか!」

弟「説明の絵も描いてきたんだよ!」

家族一同「すごいじゃないか!」

女「それすでにあるし。てか誰でも思いつくし。てか説明の絵下手すぎじゃね」

弟「……うわああああ!!(号泣)」

僕は感動しました。

ここまで不快になるCMは初めてだ、と。

日本人の悪しき国民性がこの30秒の中に濃縮されています。

その悪しき国民性について、いくらか掘り下げていきましょう。

不快な理由①敗者に寛容じゃない

世の中には勝者がいれば、敗者もいます。

今回のCMに当てはめて考えれば、勝者は宝くじの公式が出していた紹介の絵。

敗者は、弟が描いたつたない絵です。

つたない絵とは言っても、それは手を抜いたからではありません。

単純に、現時点での彼の画力の限界があの絵だったというだけです。

彼は全力で描いたんです。

そして彼は、描いた絵をみんなに見せました。

僕も自分で作った作品を人に見てもらうことはありますのでこの時の気持ちがよく分かります。

「コレを見せて迷惑がられないか?」

「立ち直れないくらいに否定されてしまうんじゃないか?」

そういった不安を抱えながらも、それでも見てもらいたいという気持ちが勝って、それで見せにくるのです。

だというのに、そういう全力が込められたものをここまでけなすのはあんまりではないかと感じます。

なぜこんなことが起きてしまうのでしょうか?

あの女性が絵を描いた事がないから?

絵を描く苦労が分からないから?

おそらく逆です。

多分あの女性は絵を描いたことがある人だと思います。

説明の絵下手すぎと言うなら、自分の画力を示した上で比較対象を出すのが筋です。

しかしそれをしないということは、彼女は自分の絵に自身を持っていないのです。

自信がないからこそ、人前に出すことはできない。

しかし、彼の絵を見たとき、こう思ってしまったのではないでしょうか。

「今目の前に出されているこのへたくそな絵より、私の絵の方が上手い」

「なのになんで、こんなに自信満々に出してるんだよ」

こういった思いから、彼女はきつい言葉で、彼を責め立ててしまったのではないでしょうか。

……ここで終わってしまえば嫌な女だね~という話ですが、この問題には更にもう一つ奥のレイヤーが存在します。

そこを覗けば、彼女もまた、悲しい被害者であることが分かるでしょう。

詳しくは後述の「彼女はなぜ魔女になったのか」にて。

不快な理由②嘲りの文化

敗者を否定する気持ちはまだ分かります。

僕自身も、そういう感情に飲み込まれる時はありますから。

しかし、今回のCMで彼女がしていたダメだしの仕方は

「てか説明の絵下手すぎなんですけど~」

というものでした。

表情こそ笑ってはいませんでしたが、あのセリフには明らかな嘲(あざけ)りのニュアンスが含まれています。

下手な絵を笑ってしまいたくなる気持ちは分かります。

しかし、彼らがキュビスム(ピカソが使っていた手法。ざっくり言ってしまうと、上手い人がわざと下手に見える描き方をしている)を用いているわけでもない限りは、全身全霊のパワーで描いてそのレベルなのです。

どうしてそれを笑う必要があるのでしょう。

母親は、立って歩けない赤ん坊を笑うでしょうか?

決して笑いません。なぜなら、母親には分かっているからです。

「この子はまだ立って歩けないのだ」ということが。

できない人を笑うのは、赤ん坊を笑うことと構造的には同じだと思います。

何というか、もっと他人に優しくできませんか……という気持ちになりました。

彼女はなぜ魔女になったのか

ここで先ほどの話題に戻ります。

なぜ彼女は「赤ん坊を嗤うような魔女になってしまった」のでしょうか。

それは単純で、彼女自身もまた同じ目に遭わされてきたからです。

絵を描いても褒めてもらえず、それどころか否定されたりもしたのではないでしょうか?

例えば、「将来は画家になりたい」とか「絵本作家になりたい」みたいなことを幼心に口にして、

それを親に「そんなの無理だよ」とか「お前の絵でなれるわけないだろ」というような言葉を浴びせられてきたのではないでしょうか。

我の強い子ならばこのくらいで折れることはないかも知れませんが、ほとんどの子どもは折れるどころか粉々になってしまいます。

こうして彼女は、自分の幼い頃の夢をうち砕かれたのではないでしょうか。

だからこそ、「自分があきらめた夢というレール(この場合、絵)」の上に、誰からも否定されていない彼が乗っかることが許せなかったのではないでしょうか。

そう思うと、彼女のセリフを口にしたときの表情にも、どことなく納得がいきます。

彼女は彼を嗤っていたのではなく、ただ絶望していただけなのです。

「どうして自分には、こんな風に励ましてくれる家族がいなかったのだろう」と。

失敗を嗤う国で

赤ん坊を嗤う事が病理だとするならば、それはすでに、この国全体を蝕んでいます。

新しい挑戦をする者は、常に強い批判に晒され、成功しても敵はなくならず、失敗すれば再起不能にまで追い込まれる。

下手をすれば命まで奪われる、そんな恐ろしい国です。

しかし、ここまで読んでいただいた方にはもうおわかりでしょう。

激しい批判をする人もまた、被害者であるということを。

彼らもまた、誰かからの肯定を必要としていた時期に、それを与えてもらえなかったのです。

誰にも認めてもらえなかった「子ども達」は、やがて「親」となり、同じように「子」を否定します。

そうやって否定されて育った「子」も「親」となれば、同じく「子」を否定するでしょう。

最初にそうなった「親」がいつの世代か、それをさかのぼるのは、もはや不可能です。

この呪いにも似た連鎖は、遙か昔から脈々と受け継がれてきたはずです。

この連鎖を誰かが止めなければならない。

そう思うので、僕は極力、他人を否定しないで生きていこうと思いました。

どんな作品も否定しないで生きていきます。絶対にです。

宝くじのCMクソ過ぎ!!!!!!!!!!!!!!!

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